天平三年(731)、行基上人が、夢まくらに現れた山王権現のお告げにより、大和国(今の奈良県)から霊地をたずねて、はるばる足利の地を訪れた時、山の中腹(現在の行基平)に草庵をつくり、虚空蔵菩薩をまつったのが、徳正寺の始まりであると伝えられています。

虚空蔵菩薩〜はかりしれない福徳〜   (浄土宗新聞・勝崎裕彦)
 十三仏信仰の主尊として虚空蔵菩薩の名前は広く知られている。智慧と福徳が虚空のように、天空・大空のように、かぎりなく、はてしなく、尽きることがなく、まさに無尽蔵であるという意味から虚空蔵菩薩と名づけられたという。その名前から、古来より地蔵菩薩と対比・対照され、一対の尊像として造立されることもあった。
 虚空蔵菩薩の梵名はアーカージャガルバ。阿迦捨蘗婆などと音写し、虚空孕・虚空胎などと訳されることもある。広大無辺な智慧と福徳を収めている菩薩、そして生み出す菩薩である。生きとし生ける衆生のさまざまな願いや求めに応じて、かぎりない、尽きることのない智慧と福徳を授け与える菩薩である。
 曇無識訳「大集経」虚空蔵菩薩品は、虚空蔵菩薩の教えを説く章品である。物語の中程で速辯という一人の菩薩が「世尊よ、どのようなわけで虚空蔵菩薩と名づけられたのですか」という問いを起こし、これに仏が答える形式で、この菩薩の名前の由来が説明されている。たとえば大富豪であれば、多くの貧しい人びとにその財産や宝物を分かち与えても決して貧乏にならないように、虚空蔵菩薩には、どんなものにも妨げられることのない、はかりしれない仏の教えがそなわっている。虚空蔵菩薩は、この無量・無辺の教えをあらゆる人びとに別け隔てなく分かち与える、というように説かれている。
 虚空蔵菩薩については、インドにおける起源が不確かであるが、グプタ朝期の四世紀中葉以降にはこの菩薩をめぐる経典が成立していたようである。たとえば虚空蔵菩薩の名前を冠する漢訳経典を見ると、十四種ほどの訳本が伝えられ、もっとも古い訳とされるのが後秦期の仏陀耶舎訳『虚空蔵菩薩経』巻である。この経典では、虚空蔵菩薩は智慧ろ福徳をあふれるばかりにつめこんだ如意宝珠を持して、宝蓮華座に坐している。そして、除病得福などすべての衆生をあまねく救済する陀羅尼の神呪を説くのである。
 元来、虚空蔵菩薩は真言密教の修法の本尊として広く尊崇を集めるようになった。不空訳『大虚空蔵菩薩念誦法』を典拠とする虚空蔵法は、福徳・智慧・音声に通達するための修法である。また弘法大師空海の実修のエピソードが有名な虚空蔵求聞持法は、虚空蔵菩薩を念じて頭脳を明晰にして記憶力を得るための修法である。聞持とは、見聞覚知してよく受持すること、つまり覚えて決して忘れないことであり、求聞持法とは密教の記憶力増進法である。
 ところで十三仏行事では、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿閃・大日・虚空蔵と次第する最後、最上部の第十三尊に位置し、十三仏の追善供養の主尊である。なお江戸時代の中頃より盛行した虚空蔵の縁日詣りは、十三詣り・智慧詣りなどと称して信仰されている。